宇和島市議会 2022-09-14 09月14日-02号
内戦である戊辰戦争に始まり、1877年の西南戦争、そして、外国との戦争であった日清、日露戦争、大正に入って第一次世界大戦、昭和の日中戦争から太平洋戦争までと、明治元年から1945年8月の敗戦となるまでの77年間は、戦争に明け暮れた時代であったと言っても過言ではありません。 そして、今年、1945年から77年たちました。
内戦である戊辰戦争に始まり、1877年の西南戦争、そして、外国との戦争であった日清、日露戦争、大正に入って第一次世界大戦、昭和の日中戦争から太平洋戦争までと、明治元年から1945年8月の敗戦となるまでの77年間は、戦争に明け暮れた時代であったと言っても過言ではありません。 そして、今年、1945年から77年たちました。
日露戦争のとき、小豆に化けて糧食に紛れ、戦地に向かった狸がいます。戦地へ着いた小豆の狸は、多数の赤服の兵士になり、敵と戦いやっつけました。また、敵地で闇夜の中、道に迷った兵士を提灯の明かりで陣地まで導いたと言われています。うそかまことか、ロシアの敵将クロパトキンの手記に、日本国の兵士の中に時々赤い服の兵士が混じっていた。
また、東京書籍は、日露戦争後のアジア諸国への影響では、日本は新たな帝国主義国として、アジアの民族に接したと記述していますが、日本は、西欧諸国の植民地支配から、アジアの国々を解放しようとしたのであり、東京書籍は、我が国の歴史をおとしめる表現をしています。
このミュージカルは,皆さん御案内のとおり,日露戦争時,心身ともに傷ついたたくさんのロシア兵捕虜が送り込まれてきた松山が舞台ということで,目を負傷した捕虜のニコライと献身的に看護に当たったサチとの間に芽生えた愛と感動の物語であります。 その主役のサチを演じているのが,元タカラジェンヌで四国中央市出身の帆風成海さんです。 私は当日,手が痛くなるほど拍手をして,心からの声援を送ってまいりました。
この中では、地元出身の元海軍大佐・水野広徳を主人公として、日露戦争でバルチック艦隊を撃破した日本が、なぜ第二次大戦に突入したのか、アメリカとの戦争は避けられなかったのかという問題意識からの平和を願う小説です。「戦艦大和」日記は、『坂の上の雲』と並ぶ近代日本の歴史小説であり、反戦の軍人水野広徳や松山を広く知ってもらうためにも重要なことだと思います。
我が松山は、国の興亡をかけ、日露戦争を戦った秋山兄弟を描いた坂の上の雲のまちであります。子規・漱石生誕150年、坂の上の雲ミュージアム10周年、両記念事業をさすがであると市内外の方々から称賛していただけるよう実施されることを強く望みます。入館者数の新記録を達成していただきたい。心構えをお尋ねします。 ○雲峰広行議長 中富坂の上の雲まちづくり担当部長。
私どもも、この今治市、尾道市からの発信というのは、日本中の皆さんが「ああ、そうか」と思うものが欲しいなといったことで、そのためにも、願わくば元寇、あの日露戦争、こういった日本の歴史に大きくかかわってきたよといったことも含めて発信したいねと。今、一生懸命考えてくれている最中でございます。 いろいろな角度からお話をいただきました。
戦争というのは集権体制から生まれてくるので、日清、日露戦争、あるいは第1次世界大戦、朝鮮動乱が起こり、戦争をするには都度国民の声を聞くという風潮も薄れる中で、デモクラシーに伴う分権論の議論は立ち消えてしまった。その後、長らく分権論にはスポットが当たらなかったが、公害問題などで地方自治体から革新的とも言えるような流れが起こった。
それは、とにかく太平洋戦争、もちろんその前の日清・日露戦争もあるわけですけれども、特に悲惨であった太平洋戦争、このことをしっかりと子供たちの心の中に平和の大切さを継承してほしいという思いもございます。その答弁につきましては、教育長にお任せをいたします。 私からは、人口減少問題に関しましてお答えをさせていただきます。
御存じのように、台湾は、日本統治が50年余り続いたところであり、特に4代目台湾総督が、日露戦争で活躍した児玉源太郎、民政長官が後藤新平の時代、上下水道開設など民政に力を入れ、また、砂糖産業の中心となったのは、当時殖産局長心得の新渡戸稲造であり、さらにかんがいや農地開発に大きく寄与したのが八田與一であります。
昨年までは、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の影響もあり、訪れた観光客も多く、また日露戦争の榴弾砲のレプリカも設置されました。このように注目されたこともあり、また、最近は都会の人の田舎暮らしの希望者などの増加もあり、この3島への定住希望者もあるとお聞きいたしました。
また、竹島の問題については、日露戦争以前に日本の領土となっており、侵略は全く間違いと思うので不採択とすべきとの意見が出され、採決の結果、全会一致により不採択と決定いたしました。
今月14日から19日、本日までの初めての海外公演、日露戦争当時の松山を舞台に女性看護師とロシア人捕虜の国境を越えた愛を描いた「誓いのコイン」を、舞台芸術の本場ロシアで披露、発起人を代表して、今回のロシア公演は歴史的なうねりの発端になると述べられています。もう1つあります。ありのままの自然な泉、三ヶ村泉があります。1781年から1790年の10年の歳月をかけて掘った泉です。
日露戦争時、全国で最初にロシア兵捕虜収容所が設置された本市には、収容所などで亡くなった98人が眠るロシア人墓地がありますが、平成20年に改修工事も完成し、観光客が訪れる施設の一つとなっております。
また、昨年末まで放送のありましたNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の撮影に使われ、現在松山城ロープウェー駅舎3階に設置しております28センチ榴弾砲のレプリカを、大変ありがたいことに松山市さんのご厚意により譲渡していただけることとなりましたので、日露戦争当時の砲台跡があります小島の観光休憩所横に移設する経費を計上させていただきました。
エンディングへ続く終盤の約3分間、国家の存亡をかけた日露戦争が終結し、秋山兄弟が1そうの船に乗り、ふるさとの海で過去を思い、未来を案じながら釣りをするラストシーンにもぜひ注目してごらんいただけたらと思います。 司馬さんが小説の後書きで次のように述べておられます。「政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。
戦地から親兄弟への手紙、戦争中の市民生活の品々等、日中戦争、いや、場合によっては日清・日露戦争以来の品々は、この時期を失するとちりあくたになりかねません。平和の尊さを次代に伝え、平和の大切さを訴える場の設置を求めます。 新しい建物を建てよというのではありません。いつの日かそういう日が来るかもしれませんが、学校や庁舎等で現在使われていない施設の活用で、実現方お願いをします。
その日露戦争の関連施設ということで、小島砲台跡も最近は観光客がふえていると聞いております。最初、私たちが訪問したときは、砲台跡も結構荒れ果てており、道なども手入れされていない状況でしたが、最近は徐々に整備されているようでもあります。 そこで、最初に、現在の整備状況、また、どれくらいの観光客が訪れているのかをお聞かせください。
本市におきましては、「明治体感、坂の上の雲のまち松山を訪ねて」を集客テーマとしてまちの資源を磨きながら市内の回遊型観光ルートを開発するとともに、広島地域や関西地域からの高速道路を利用したマイカー客の誘致へ向けて、しまなみ海道と連結させた観光ルートを形成する必要があることから、今治市や民間事業所と連携をしながら橋上サイクリング、観潮船による急流体験、日露戦争の要塞跡が日本で唯一現存する小島の体験ガイドツアー
しかしながら、日露戦争自体が、日本の朝鮮植民地支配が目的であった事実から考えても、題材が適当とは思えません。その3人が本市の出身だからといって、その小説を本市のまちづくりの理念にするというのは、本当に抽象的過ぎて説明がつきません。このような英雄主義的発想を中村市長個人が持つのは構いませんが、市民や市政に押しつけるのはやめていただきたいと思います。御答弁ください。